2011年3月11日、岩手県陸前高田市を襲った津波によって、中心市街地は壊滅。10年以上が過ぎたいまなお、だだっ広い空き地が広がっている。復興の途上にあるこの町に、パンという希望を灯(とも)すべく、「ベーカリーMAaLo(マーロ)」が2020年12月にオープンした。
場所は発酵テーマパーク「CAMOCY(カモシー)」内。震災前、この界隈(かいわい)には、造り酒屋やしょうゆ蔵などが立ち並んでいた。そのにぎわいを取り戻そうと、発酵食品ばかり七つの店舗・工場が集まったフードコートが作られたのだ。それぞれの店舗は、互いの商品を使用してまた別の商品を作りだすなどケミストリーが“醸さ”れ、新たな発酵カルチャーを創造しようとしている。
MAaLoの「醤油(しょうゆ)バター」には、塩パンに塩をトッピングする代わりに、江戸時代からつづく「八木澤商店」のしょうゆを塗る。長い熟成を行ったしょうゆは旨味(うまみ)に満ち、明太子(めんたいこ)を想像させるほど。そして甘い香りは、バターとあいまってキャラメルクリームのようだ。表面はかりかり、中身はもっちり。内部に巻き込んだバターの塊はオーブンの熱で消失、空洞になったことで快いクッションを生み、溶けたバターは生地からじゅるっとあふれだす。
MAaLoに全面協力したのは、行列の絶えないパン屋として知られる「ZOPF」(松戸)の伊原靖友シェフ。開業までに10年の長きストーリーがある。
2011年の6月、私は、陸前高田の避難所に、ZOPFなどのパン屋さんからいただいたパンを持ち込み、お配りした。中には涙を流してよろこんでくれる人もいた。避難所が解散、仮設住宅に変わると、私たち有志は被災者のみなさんとバーベキューを行った。伊原シェフもいっしょに陸前高田を訪れ、巻きパン(棒に生地を巻きつけバーベキューコンロの上で回転させて焼くパン)を振る舞ってくれた。
この活動は、陸前高田の特産物であるりんごとの出会いによって「希望のりんご」と名付けられ、規格外のりんごを全国のパン屋さんに買ってもらったり、陸前高田で1日ピッツェリアを開催したりと、さまざまな形でつづけられた。パンは私たちと陸前高田の人たちを10年にわたって結びつけ、それがMAaLoの開業へと結実したのだ。
伊原さんが愛(まな)弟子たちの中から、シェフとして指名したのが塚原涼子さん。東北・福島出身でもある彼女は、復興へのみんなの思いを感じ、単身陸前高田へと赴いた。パンといえばスーパーで買う袋パンというこの町に、本格的な手作りのパンを根付かせるミッションを担って。
たとえば、ホットドッグは、ふわふわのパンではなく、ハード系で。ぐにゅうと沈む噛(か)み応え、ぱつっと切れる快感、しょうゆのような熟成香がある。北海道産“奇跡の小麦”キタノカオリの全粒粉も使用。小麦の豊かな風味に加え、「パンから栄養をとってほしい」という狙いも込める。ケチャップで味付けするのではなく、紫キャベツで酸味とさわやかさを加えて。陸前高田で作られるハーブソーセージを使うのは、「なるべく地元の食材を使いたい」から。
チャバタに陸前高田市広田産の青のりを混ぜこんだ「広田ののりぱん」。「ルバーブ・イチゴドーナツ」にも地元産のフルーツが使用される。畑にすぐ行けて、生産者と会えるのは、以前勤めていた東京の有名店ではできなかった、地方ならではのよさだ。
MAaLoでクロワッサンを作る予定はなかったが、クロワッサン好きの塚原さんの希望で設備を導入した。塚原さんのクロワッサンはバターの風味が濃厚だ。小麦の風味もまた濃厚で、その旨味がバターの風味をも押し上げる。
「クロワッサンがおいしいってみなさんに言ってもらえます」。ぱりぱりと皮がこぼれ落ちる、焼きたてのクロワッサンのよろこびは、なにものにも替えがたい。それが、陸前高田にもたらされたのだ。
パンの力。ハード系やクロワッサンといった三陸では珍しい本格的なパンは評判を呼び、近隣の町からもCAMOCYに人を呼び込む原動力となっている。MAaLoの製造スタッフは、陸前高田の若い人たち。ほぼ未経験者ばかりだったが、経験を重ね、いまや立派な戦力となった。若者の流出が止まらない陸前高田に、熱気に満ちた新しい働き場所が生まれたのだ。
先述した「希望のりんご」の活動によって知り合った中に、八木澤商店の河野通洋社長や、MAaLoのオーナーである高田自動車学校の田村満会長がいた。震災のとき、田村さんは自動車学校を開放し、物資や救援の基地として提供。その後も、立ち上がったいくつもの復興プロジェクトの代表となった。
「僕、震災後にやってきたこと、自分のためってつもりもないんです。この街をなんとかしなきゃいけない。震災前2万4000人いた陸前高田の人口はいま1万9000人。我々が動かないと、この街は衰退していく一方です」
田村さんや河野さんは「なつかしい未来創造株式会社」を設立。津波が押し流した廃虚に希望に満ちた町を作る青写真を描いて市に何度も掛け合ってきたが、実現することはなかった。仮設住宅に人々が取り残される一方、作られたものは、田村さんらが反対してきた、高さ12.5メートル、長さ2キロの巨大な防潮堤。それは海と人とを隔て、陸前高田の景色から海を消した。それでもあきらめず、空き地だらけの旧市街地に、震災から10年を経てついに完成したCAMOCYは、発酵に新たな光を当てることで陸前高田の未来を切り開くための乾坤一擲(けんこんいってき)だ。
「悔しい思いもうれしい思いもいっぱいしてきた。でも、これだけは言えると思います。僕らはなにがあっても絶対にへこたれない」
ベーカリー MAaLo
岩手県陸前高田市気仙町74-1
080-2845-8170
10:00~18:00(水曜日食パンday11:30~18:30、土日祝9:00~17:00)
火曜休
フォトギャラリーへ(写真をクリックすると、くわしくご覧いただけます)
「このパンがすごい!」紹介店舗マップ(店舗情報は記事公開時のものです)
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からの記事と詳細 ( パンという希望の灯。陸前高田で生まれる新たな発酵カルチャー/ベーカリー MAaLo - 朝日新聞デジタル )
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