あの行列店もプロデュース!~人気ベーカリー陰の立役者
ベーカリーの激戦区、東京・清澄白河。さまざまなタイプのベーカリーが、駅から1キロ圏内に20軒以上もある。
中でも最近人気を集めているのが5年前にオープンした「ブーランジェリー メゾン ノブ」。ショーケースには約20種類のパンが並ぶ。貴陽という高級なスモモが乗った「貴陽のデニッシュ」(580円)。スモモの下にはカスタードとアーモンドクリームが入っており、ケーキのようだ。
こうしたパンを作るのはオーナーの保要信勝さん。かつてアメリカのシリコンバレーでパン職人として働いていたが、6年前に帰国。この店を開く時はある会社を頼ったという。
「日本では妻と2人で小さなこぢんまりした地元に愛されるパン屋を作りたかった。ダイユーにお願いし、『こういうパン屋できますか?』と言ったらすぐサポートしてくれました」(保要さん)
東京・国分寺市の大型店「ベーカリーヒナタ」国分寺東戸倉店も、ダイユーのサポートで去年の暮れにオープンした。店内には60種類ほどの焼きたてパンが並ぶ。
看板商品はコーヒーで味付けした餡と生クリームがたっぷり入った「コーヒーあんぱん」(260円)。そのポップを見てみると「銀座ルノアールとコラボ」とある。実はこの店を運営するのは「銀座ルノアール」。コロナ禍で喫茶室の客足が遠のく中、健闘するベーカリーに目をつけ、2年前に1号店をオープンすると大ヒット。今や4店舗を展開している。
「喫茶店をなりわいとしている会社だったので、全てが新しいことばかり。ダイユーのおかげです」(「銀座ルノアール」渋谷朋樹さん)
東京・杉並区に本社を構えるダイユーはベーカリーの開業を支援する会社だ。創業1972年、年商8億円。従業員はわずか9人だが、これまで手掛けてきたベーカリーは全国1200店舗以上に上る。
京都市にもダイユーを頼る店がある。新たにベーカリーを開こうとしている「喫茶 静香」。1937年創業の地元に愛されてきた喫茶店だ。名物のフルーツサンドは大ぶりのフルーツと生クリームをデニッシュ生地のパンで挟んでいるのが特徴で、若い世代にも人気がある。
店を切り盛りする2代目オーナーの宮本裕行さんは「今回コロナでひどい目にあったので、そこを解決したい」と、不況に強いベーカリーで経営を安定させたいと考えた。そこで商店街に場所を確保したが、「パンを焼いた経験がないので、そこは素人で踏み入ったら怖いところがある」と言う。
宮本さんが頼ったのがダイユーだった。依頼を受けてダイユー会長・星野良信と、娘で社長の理絵がやって来た。
徹底したリサーチが武器~ヒットベーカリーの作り方
〇売れるベーカリーのつくり方1~徹底した商圏調査
2人が向かったのは宮本さんの店の近くのベーカリー。そこでパンを買って出てきた。実はこれが最初に行う重要な作業だ。
「商圏調査。競合店を見て回って値段とか味とか全部チェックする」(良信)
周辺の店をすべて回り、店内の様子や商品のラインナップをチェック。この調査は長年経験を積んだ良信にしかできないという。
こうした調査を行ったうえであらためて宮本さんに面会。出店場所から半径1キロ圏内にあるすべての競合店を洗い出し、その情報をのせた地図を見せる。宮本さんの店の周りには25軒もあった。
「強いパン屋さんが多いので、商品のレベルも高い地域だと思う」(良信)
「古くからやっているパン屋さんもあるし、有名なパン屋さんもあります」(宮本さん)
「他の店にない商品とか、特徴を出せれば売れるかなと」(良信)
宮本さんに、他にはない特徴を作るよう提案した。
〇売れるベーカリーのつくり方2~目玉商品を作れ!
宮本さんの店の目玉商品作りを担うのは東京にあるダイユーの開発部。担当する職人歴20年の下山晋哉は、「静香」の名物、フルーツサンドの改良版を作ることにした。これまでのデニッシュより甘くて柔らかい、スポンジケーキのようなパンを目指すという。
「冷蔵で売るフルーツサンドは硬く感じることがある。しっとりさを出すためにあの手この手で試してみます」(下山)
ダイユーはこうしたやり方でさまざまな店の目玉商品を作ってきた。
例えばハワイを意識した静岡・浜松市の「ハウオリベーカリー」では「ロコモコ風ハンバーガー」(388円)やハワイの揚げパン「マラサダ」(118円~)を開発した。しかもそのほとんどを店内で手作りするよう指導している。
〇売れるベーカリーのつくり方3~行き届いたサポート
宮本さんの店ではパン作りの研修が始まっていた。ダイユーでは未経験者が開業する場合、職人を派遣してパン作りを教える。他にも陳列や接客など、店の運営に必要なすべてをみっちり教え込む。徹底したサポートもダイユーが頼りにされる理由だ。
7月23日、宮本さんの店のオープン当日。商品の並べ方について、午前10時の開店直前までダイユーのスタッフがサポートしていた。
この日のために約20種類のパンを用意した。もちろん改良した「フルーツサンド」(496円)も。卵黄をたっぷり使って黄色く、スポンジのように柔らかいパンに仕上げた。
この日は8時間で207組が来店した。
「めちゃくちゃ疲れました。ダイユーがいなかったらオープンできなかった」(宮本さん)
パン業界を大変革!~トータルプロデュースの原点
良信が自宅で見せたいというのがパンを冷凍して置いておくストッカー。中にはパンがぎっしり詰まっていた。他店のパンの味を知るため、朝は欠かさずパン。これを30年以上も続けているという。だから4人の娘たちも、幼い頃から朝は必ずパンだった。
「子どもははっきりしています。おいしいとかあまりそうでもないなとか。それはすごく参考になりました」(良信)
1949年、内装業を営む家に生まれた良信は大学卒業後、自らの内装会社ダイユーを設立。パン業界に関わるのは、友人からパン屋の内装を頼まれたのがきっかけだった。
当時、町のパン屋は大手メーカーの袋詰めのパンを棚に並べるのが主流。良信が手掛けたのもそうした店だった。一方でそのころ、店内での焼き立てをウリにした大型ベーカリーが台頭。町のパン屋は次第に客を奪われていく。
「『アンデルセン』とか『ドンク』が売れ出していました。『焼きたて・揚げたて・作りたて』の『3たて』というやり方に、将来的には変わっていくだろうなと」(良信)
町の個人店も「焼きたて、揚げたて、作り立て」でいかないとやがて立ちいかなくなると感じた良信は、パンの本場フランスに視察に向かった。そこでダイユーのビジネスモデルを変えるある光景に遭遇する。
パリで人気を集めるベーカリーでは、広い店の中に焼き立てのパンがおしゃれにディスプレーされている。そしてパンを焼く人、品出し、接客する人と、分業で店を回していた。
「明らかに違うなと思ったのは、日本は家業が多くて、ヨーロッパは事業。スタッフをいっぱい抱えて、その人たちを教育するということがすごく重要だなと思いました」(良信)
良信は、店舗づくりから経営までベーカリーをトータルでプロデュースするため猛勉強。すると東京・江戸川区のベーカリー「やきたてパンぴーぷる」から依頼が届く。そこは家族で切り盛りする、わずか7坪の店で、売り上げは頭打ち。そこで今より広い店を出したいと、良信に相談したのだ。
「1日6~7万円しか売れなくて、これでいいのかといつも思っていて、そこでダイユーに相談しました」(「やきたてパンぴーぷる」大西経社長)
店の内装だけでなく、オペレーションの教育も必要と感じた良信は、オープニングスタッフを14人揃え、品出し、接客、レジ打ちなど、仕事を分担させた。さらに、客が自分でパンを取るスタイルに変えたことで、売り上げを以前の約5倍に伸ばした。
「資金もなかったんですけど、ダイユーで相談にのってもらい、(機械の)リースを組んだり、トータルで教えてもらって非常に助かりました」(大西さん)
同じころ千葉・君津市でプロデュースしたのは、1980年創業の「クロワッサン」が初めて展開する大型店「クロワッサン」君津店。内装だけでなく、石造りの店舗設計からプロデュースした。
「クロワッサン」の橋爪信義社長は、良信に依頼するにあたって、ある要望を出していた。
「大きな目玉が欲しかったんです。それで星野会長に相談した」(橋爪さん)
良信の出した答えは石窯。わざわざスペインから職人を呼びよせ、本格的な石窯を建造したのだ。高温かつ遠赤外線で焼き上げるため、外はカリッと、中はふっくら。食パンが、たちまち店の看板商品となった。
これを機に良信は、新たにプロデュースする店に石窯の導入を勧め、全国で170軒以上が採用している。
「全国的にも当時は石窯が入っているお店はあまりなかった。星野会長がきっかけで作ってくれたお店なので業界としても大きな功績だと思います」(橋爪さん)
会社存亡の危機に娘は!?~パン業界をさらに先へ
ベーカリーのトータルプロデューサーとして知られるようになった良信だが、2001年、肺がんに倒れてしまう。
「この会社は一代で終わりだなと。非常に特殊な会社だから、私の代で畳んじゃおうと思った」(良信)
そんな父に待ったをかけたのが三女の理絵だった。
「父が仕事に対して誇らしげに話している姿を見て、ダイユーはすごくいい会社だな、素晴らしい会社だなという思いは強くありました」(理絵)
2004年、25歳の理絵は勤めていた商社を辞めて、ダイユーに入社した。
「入社したいという話は聞いていましたけども、全部バトンタッチするのは無理だろうと思っていた」という父の心配をよそに、理絵は、販売、接客から店の経営方法などを学んでいき、ついには自らベーカリーをプロデュースするまでに。これまでに100軒以上を手掛けている。
「うれしかったですよ。これはもう大丈夫だなと思い始めました」(良信)
2016年、父に代わって社長に就任した理絵の頼もしい相棒が双子の妹・志津だ。姉はベーカリーのプロデュースに専念。妹は経理などの裏方業務を支えている。
理絵は業界全体を発展させるために新事業を始めた。直営店「コムギノホシ」の経営だ。
「例えば材料の値段やスタッフのお給料を含めて、経営という部分で数字に強くなってもらいたいなと思っています」(理恵)
パン作りはもちろん、仕入れやスタッフの教育など経営に必要なノウハウを、現場で身に付けてもらうのだ。
製造スタッフの伊藤慎太郎は他店で10年以上、職人として働いていたが、独立開業を目指すため、半年前にダイユーに入社した。
「固定費とか人件費とか1カ月の売り上げとかをみることが、経営していく上で重要な部分にはなってくるので、勉強中です」(伊藤)
また現在、パン業界が困っているのが職人不足。埼玉・春日部市の「石窯パン工房ぴーぷる 増田新田店」は、ダイユーのおかげでピンチをしのいでいるという。実はここで働くパン職人の川嶋謙吾はダイユーの社員だ。
「人が足りず即戦力がほしいというパン屋さんがあり、そういうところに僕自身が行かせてもらっています」(川嶋)
理絵が始めたのは「パン職人の派遣」。5年以上の経験を持つ職人を集め、人手不足に悩むベーカリーに派遣しているのだ。
「ダイユーの派遣社員が入ってくれれば、他の社員も休みが増えるなどいい面が多い。ありがたいですね」(「ぴーぷる」大西経社長)
さらにダイユーは、ベーカリーが抱える悩みのひとつ、パンの廃棄ロスの問題にも取り組んでいる。
閉店後のダイユー直営店「コムギノホシ」。スタッフが売れ残ったパンを回収し、細かくカット。さらにフードプロセッサーで粉々にする。これを送る先は和歌山市の工場。ここではパンを原料にしたクラフトビールを作っているのだ。
パンから生まれた「ブレッドエール」(715円)は3年前から直営店で販売している。
※価格は放送時の金額です。
~村上龍の編集後記~
幸福な家族だと思う。お父さんが倒れたとき、二人の娘さんが立ち上がった。社長の理絵さんは、経営者に向いていた。日商40万、年商1億のベーカリーのオーナー開業を支援する。プロデュースは、商品開発から、製造、店舗、厨房、接客、人材教育など、必要なノウハウを店舗ごとに組み合わせて行う。休日、親子でパンを個人的に楽しむ。理絵さんは、長期のパンの修業に耐えた。パンのことで知らないことはないという雰囲気が漂う。パンの魅力を親子で語る。良信氏の顔には、満足感が浮かぶ。だがしかし、危機感を内包した満足感だ。
<出演者略歴>
星野良信(ほしの・よしのぶ)1949年、東京生まれ。1972年、ダイユー設立。2016年、会長就任。
星野理絵(ほしの・りえ)1978年、東京生まれ。2004年、ダイユー入社。2016年、社長就任。
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からの記事と詳細 ( 絶品ベーカリーを生み出す~プロデュース集団の全貌:読んで分かる「カンブリア宮殿」 - テレ東プラス )
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